最終回「漢( おとこ)は黙って海に散る」




年末は初めてプライベートで海外旅行、
香港で年明けしました。
この動画が年明けした瞬間の九竜島。
これを見せたくて
このホテルのこの部屋を
選んだのに、
ちびっしゃん。はいつもどおり、
カーズのトミカを握って熟睡してました(笑)
最高の旅やったけど、
最初に香港で会うた日本人の方が言った
「香港、意外と面白いですよ!」
って言葉に
オマエ"意外"て何やねん!失礼やろコラ!めっちゃ面白い兄さんやわ!
って一瞬キレそうになりました(笑)
父の母、ボクにとってのおばあちゃんが、亡くなったと今、連絡がありました。
膵臓ガンでした。
今年の夏に入院した時に、すでに手遅れと言われて、
ひ孫のちびっしゃん。を連れて会いに行ったきりでした。
次は今年の年末に会いに行く予定だったので、ホンマに残念です。
若くして僕のおじいちゃんである旦那を亡くして
うちのお父ちゃん兄弟4人を女手ひとつで育て上げて、
年老いても、背筋ひとつ曲がるコトなく、入院する直前まで毎日外へ出かけて行ったり、
ニンテンドーDSのゲームにいそしんだり、
ホンマに若くて元気なおばあちゃんでした。
病室で一緒に写真を撮りたかったけど、そうすると、勘のいいおばあちゃんが、自分が死にゆくってコトに気付きそうで、
撮れませんでした。
これでボクは今年、おばあちゃんを二人とも亡くしました。
おじいちゃんはすでにいないので、
ボクには祖父母がいなくなりました。
これは命のバトンタッチという当然のコトとはいえ、
辛くて辛くて堪りません。
でも、戦中戦後の大変な時代を、次につなぐバトンを落とすコトなく守り抜いて走り抜けてくれたおばあちゃんに、
「お疲れ様でした。ありがとうございました。」と、ちびっしゃん。も一緒に、頭を下げに行こうと思います。
。
ロケで初めてハワイに行って来ました。
着いて早々にホテルにチェックインしたら、
ロビーにアメリカプロバスケNBAの選抜ドリームチームがいる!わ、
部屋がマイケルジャクソンが泊まった部屋の隣の隣!だわ、
部屋のバルコニーから真下を見たら中庭にイルカが数頭いる池がある!わ
ビックリの連続でした!
で、ビーチに行ったら、ハワイで"出逢うと幸せになる"っていう言い伝えのある
野生のウミガメにも逢えて興奮!(嬉)
ホテルの中庭の池にはイルカ、ウミガメ、エイの他にもたくさんの魚が泳いでるねんけど、
エイ→イルカ→カメ っていうしりとりの流れで、
→メル・ギブソンがプールでフリチンで泳いでても、
そないビックリせえへんくらい、
刺激的な旅でした(笑)
。
2歳のちびっしゃん。は「泳ぐ」っていう事を「ワーイ!」と言うのですが、
「ワーイしたい?」
「ワーイしたい。」
「ワーイ好き?」
「ワーイすき!」
「ワーイ行く?」
「ワーイいく!」
っていうことで、無人島に行って来ました。
着くなり海に駆け出して水を両手で跳ね上げながら「ワーイ!」「ワーイ!」と威勢よくしばらく繰り返した後、
砂浜に上がって来ては、ビタッと寝転がって
「アタカイネ〜」(あったかいね〜)
ってしみじみ言う、
ってのを数セット繰り返す様は
父親のボクは見馴れてる行動なんですけど、
近くでそれを眺めてた外国人観光客カップルの目は
"日本のわけわからん伝統の儀式"
を見る、それでした(笑)
後輩と二人で救援物資を持って福島県南相馬市に行ってボランティアを申し込んでん。
東京から車で五時間、ちょっと遅れて9時半過ぎに到着、手続きしたあと、現場に案内してもらってんけど、
現場は海の近くで、いろんな幸せを一瞬で奪い去った津波の爪痕と悲しみがリアルに残ってて、ええ年したオッサン二人、想像してた以上の惨状に声が出えへんかってん。
そんな中、割り当てられた作業は
ひまわり畑の溝掘り。
名前だけ聞いたら何かほっこりするけど、
放射線物質などを取り込んでくれる、と言われてるひまわりの苗木を植えた畑に、
水捌けを良くするように長い溝を何本もシャベルで掘るねん。
炎天下、見渡す限り津波ですべて流されて、日陰を作るモノが何もないところで、
目に見えない放射性物質の恐怖も正直あるし、
「これバイトでもイヤやわ」っていうくらいシンドイ作業を全身から汗を吹き出しながら、皆さん協力して黙々とシャベルを振るって長い溝をできるだけ真っ直ぐ掘って行くねん。
で、溝の通りみちにある、今はまだ小さいひまわりの苗を別の場所に丁寧に植え直すことまで、黙々と。
俺らを入れてボランティアの皆さんは10人くらい。俺らは倒れるギリギリやったけどほんま、皆さんスゴイわ。
あれを見てたらあの畑に今後ひまわりが咲き乱れへんわけがない。
時間の都合で昼休憩までしかお手伝いできへんかった俺に、何がわかるねん!かもしれんけど、
派手じゃないけど、いろんな"現場"のいろんな作業で黙々と汗を流してるボランティアの方々が、復興への大きなチカラになってる、って感じたわ〜。
休憩中にK同通信の記者の人がいきなり取材に来た時も、誰もな〜んにも浮き足立たず興味なさげで、何となく職人気質。(俺も気付かれんように隠れてもたけど(笑))。
実は口下手でぶきっちょで人見知りで引っ込み思案な、俺みたいな人〜!(笑)
こんな被災地の復興の手伝いの仕方もあるで。
今後、被災地のどっかの"現場"で出会うかもな。
そんときは、ぜひ一緒に張り切ろ〜!
・・・口下手でぶきっちょで人見知りで引っ込み思案やから、その時も、愛想は良くないけど(笑)
。


今日5月6日の未明、
ボクが子供の頃、夏休みになると山ん中走り回ったり川で泳いだりして過ごした和歌山の山奥の家で、
大好きなおばあちゃんが旅立ったと連絡がありました。
散歩から帰ってくる途中、大量に血を吐いて、
担ぎ込まれた病院での検査の結果、お医者さんに"余命2週間"ていう診断をくだされました。
昔の人の強靭な体力は現代医学の常識に当てはまらないのか、なんとそっから1年!医者の自信を粉々に打ち砕くかのように(笑)、
2週間だと言われた"賞味期限"を自分で1年間にまで延ばしたんです。
最期の方は病気が全身に転移して、肺にも水が溜まって、点滴だけで3ヶ月、
でも最期の最期まで意識ははっきりしてました。
お医者さんが「2、3日がヤマです。」ておっしゃってから、2週間もヤマを動かしました(笑)
ボクも、"もうさすがに生きてるうちに逢えるの最後やろな"・・・が、結局10回以上になりました(笑)
自分も小さい子供の時から、それ以上に小さな兄弟たちを背中におぶって、農作業をしてたおばあちゃん。
お母ちゃんを産んでくれたおばあちゃん。
ゴキブリを素足で踏み潰したおばあちゃん。
川で泳いでるのを岩場にすわって見てくれてたおばあちゃん、
寝付くまで背中を掻いてくれたおばあちゃん。。。。。。
そら当たり前やけど、思い出をここに書ききれるわけも無いし、書く必要もないし。
ただただ、虚しくてシンドイねん。
生粋の筋金入りのおばあちゃんっ子やったから。
心の準備してたつもりやってんけど、まったく何も準備できてなかったわ。。。
俺が今まで生きてきて1番ツライ出来事やと思う。
悲惨な戦争を経験して、焼け野原になった日本をここまで立て直して、
子供を育てて、孫ができてひ孫までできて、
やっとゆっくり静かに生を終えようかという時に最期の最期まで
「東北は大丈夫か?放射能はみんな大丈夫なんか?」って涙を流しながら、心配しながら、憂いながら、旅立って行きました。
意識が無くても5日の日付が変わるまで頑張ったのは、
自分の子供のお母ちゃんと孫のボクたちと、「おまんに全然似てないわぁ〜(笑)」って言いながら可愛い可愛いって言うてくれた、ちびっしゃん。の こどもの日を見届けてくれたんやろな。
天国で久しぶりに逢うたおじいちゃんと、また、仲良く喧嘩しいな(笑)
俺がちゃんと寿命を終えてそっちへ行ったら、また寝付くまで背中掻いてな〜!(笑)
バイバイ、またな。
。